2冊テーマシリーズの第二弾です(第一回は以下)。
今回は、福尾匠さんの『置き配的』と友田とんさんの『「手に負えない」を編みなおす』の二冊を紹介しつつ、そこにある共通的なテーマを取り上げてみました。
プラットフォームが前提の社会において
収録時に参照したメモは以下に置いてあるので、書誌情報などはそちらでご確認ください。
私たちは、プラットフォームが前提の社会に生きています。SNS的言論空間だけでなく、ITサービスそのものが全般的にその方向に進んでいます。企業が作った土俵の上で生活しているといっても過言ではありません。
その上で、言論的空間のプラットフォームは私たちにある傾向を持たせようとします。プラットフォームにとって「好ましい」立ち振る舞いをそれとなくするように環境設計するのです。
はっきりそれをしろ、と命令するまでもありません。”適切”な報酬を見つけ出し、効果的なUIを構築すれば、ユーザーは自ずからそうした行動をとるようになります。大量のA/Bテストと、私たちの即時のフィードバックが「どんな機能が誘導において有効か」という問題を進化論的に解決してしまうのです。
BC034『啓蒙思想2.0―政治・経済・生活を正気に戻すために』 で「外部足場」という概念を紹介しましたが、そうした外部環境は自らを好ましい方向に拡張していくためだけに機能するものではなく、ある種のデバフ的効果も持ちえるものです。
だからこそ、私たちは何かしらの「対抗策」を持っておいた方がいい。
SNSをまったく使わなくても話はかわりません。私たちの身の回りは重商主義ならぬ重消費主義で満ちあふれていて、物事の価値や意義が経済性のみで測られます。私たちが社会=関係の中で生きていく以上、仮に自分がだけがそうした刺激から解放されたとしても、この社会の有り様はぜんぜん変わらないのです。
もちろん、そんな大きな問題を快刀乱麻に解決できるはずがありません。だからといって、何をしても無駄、ということはないでしょう。きっと手に負えないけども、手当てくらいはできる、ということがあるはずです。
別にそうしたプラットフォーマーを悪だと断じる必要はないのです(そもそも、その物の見方はあまりにも単純です)。それよりも日常に向ける目線、自分が感じる価値を多様に構築していく。それで人々の日常生活が少しでも変わるなら、まわりまわりまわりまわりまわりまわって、やや大きな何かが変わるかもしれません。












