「人とつながっている」とは何か。インターネット的、Substack的とは何か。
気づけば1ヶ月ぶりの更新です、ご無沙汰しています。みなさまお元気ですか?
私は元気に立て込んでいて、立て込みついでにサブスタのプロフィールや各種設定も進めて、ようやっと記事更新に辿り着きました!やったぁ!嬉しい!><
これからぼちぼち記事更新、音声配信などしていけたらなと思っています。
サブスタもこの1ヶ月でちょっと温度感は変わってきた….のかな?
最近、糸井重里さん『インターネット的』と言う本を読んでいたのですが、今日は私も、人とつながることができるインターネット的なもののありがたみを改めて言葉にしてみたいと思います。
↓音声で聞く方はこちらから
先月、Substackでマロリー( Mallory Andrews )さんという方とコメントを交わした時のこと。
英語圏の方で、全世界サブスタ番付的なものに載っていた巨大アカウントと思われる方です。
ちょうど40歳になったばかりの女性が、自分だけの人生を築き直そうと準備しています。なんだかワクワクしています。
と、自動翻訳で偶然読むことができました。
私も40歳になった歳でその感覚に共感したので、
私もまったく同じ気持ちです。現在40歳ですが、とても素晴らしい時間を過ごしています。自分のビジネスを始めたり、Substackに出会ったりして、自分の声を共有することにとても興奮しています。Substackは今、日本で大きなトレンドになっています!
とコメントしたら、「素晴らしいですね!クリエイターが共有するのに素敵な場所です。ここに来てくれて嬉しいです!」と返信が返ってきました。
それだけのやりとりです。でもこの数行を交わしたとき、ふと思い出したのは昔の感覚でした。
Twitter黎明期に感じた喜び
私が初めてTwitterのアカウントを取ったのは2008年。まだ大学生のときでした。
当時のTwitterは今とまるで違って、著名人や経験豊富な大人が本当に「つぶやき」を投稿していました。自分とは遠い世界に生きている人のリアルな、生の内面を覗き見ることができる、そんなことあっていいの!?と興奮したのを覚えています。
多くのアカウントがフラットに様々な人と会話していました。全然面識がなくても、まだ若くても、憧れの人にリプライを送ったら返してもらえた、みたいなことが当たり前にあったんですよね。
その光景を見ていて、ある感覚が湧いたのを覚えています。
——これは、誰かを救う仕組みかもしれない。
身近に頼れる大人がいない子。どこにも居場所がないと感じている子。そういう子が、ネットの先にいる誰かと言葉を交わすだけで、生きる希望を受け取れる可能性がある。視野が広がる可能性がある。
なぜあんなに強くそう感じていたのか、書きながら気づきました。私自身、そういう子の一人だったんです。
20年以上昔の私は悩み多き高校生で、Twitterはまだなかったから当時はBBSに書き込んでいました。パソコンがたくさんある、高校の情報ルームから。
時代を感じますね。家のパソコンは履歴が残るから避けていたんじゃないかな。
主に性別の悩みで、名も知らない年上の人の「親にカミングアウトした体験」を読んだり、そんなことあるんだ、と思ったり、自分もやってみます!とコメントしてみたり。
一人で不安でも、リアルタイムな情報や体験を読める。見ず知らずの誰かが言葉をかけてくれる。それで救われたことが何度もありました。
だからTwitterの黎明期にあの光景を見たとき、「この仕組みは、これから多くの私のような子を救うかもしれない」と思ったんですよね。
メディアが変わっても人は変わらない
先日のマロリーさんとのやりとりを思い返しながら、あの昔の感覚と地続きだなと思いました。
時代もメディアも変わったのに、ネットの先で誰かと交差したときに生まれる温度は、変わっていない。Substackでまた、その感覚に出会えたことがシンプルに嬉しかったですね。
“ネット”は電子じゃなく、人でできている
人と人との緩やかなつながりはソーシャルキャピタル(人的関係資本)と呼ばれたりもします。人と人のつながりは資本である、と言う考え方。社会や会社の生産性向上の文脈でも使われますが、個人にとってもまた資本です。
インターネット自体は電子的産物ですが、その上に載っている私たちは人間です。
人は人を支えることができます。たとえそれが自分の利益にならなくても、誰かを気にかけることはできる。誰かに気にかけてもらえていると感じられるだけで、孤独からは少し離れられる。
それが「ソーシャルな」ネットワークなんだと思います。
ネットは電子でできているんじゃなくて、人でできている。 私たちはネットを介して、ちゃんと繋がっている。
SNSを伸ばす、SNS集客、それも重要なSNSの機能ですが、その前にまずこうして私たちがつながって、文章を読み合ったりしていることは無自覚なセーフティネットを張っている、ともいえそうです。
私たちは「大きな生命体」でもある
最後にちょっと飛躍した話。
今あなたの向かっているスマホやPCの視点を離れて、自分を上から眺めてみてください。
「一人じゃない」というのは、慰めの言葉として使われがちですが、私はもうちょっと文字通りの意味で解釈してみたい。
私たちは、たぶん本当に一人じゃない。緩やかに繋がりあっていて、お互いに気にかけあっている。それは大きな生命体である、ということなんじゃないかと思うんです。
誰かが苦しんでいたら、誰かが手を伸ばす。
そしてもし、誰か一人が仮に死んでも、「私たち」は死なない。私たちは大きな生命体だから。つながっているとはそう言うこと。私は私であり、私は私たちでもある。
ちょっと哲学的な話に踏み込んでしまいましたが、そう思うと何があっても大丈夫な気がしてくるんですよね。
お知らせ
つながりといえば——かねてから言っていたオフ会、やめてません、やります〜!
【7/4(土)サブスタリアルおしゃべり会@新宿】
日時:7月4日(土)14:00〜
場所:新宿区内(落ち着いてお話しできるお店を予定)
定員:10名ほど
会費:3,000〜4,000円くらい(飲食代実費)
サブスタックやnoteで発信している人、これから始めたい人と、ゆるく集まって話せたら。すごく有益な会というより、気兼ねなく顔を合わせる場です。ジャンルやご経験など不問です。
以前数名の方に「行きたいかも」を頂きました!興味を持ってくれる方は、コメントかメッセージで教えてください。1週間以内に場所を決めて、ご連絡しますね。
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