何でもない50代主婦の私が、noteを毎日書くわけ
何でもない50代主婦の私が、なぜ毎日noteを書いているのか。
考えてみたら、答えはとても生活感のあるものでした。
私はnoteを書くことで、
「頭の中のお片づけ」
をしているのだと。
もっと言えば、これは
家事の延長!?
なのかもしれません。
部屋にホコリがたまるように、
心の中にも、毎日小さなモヤモヤがたまっていく。
食材をそのまま置いておくとどんどん傷むように、
感じたことも、そのまま放っておくと、いつの間にか風化して見えなくなっていく。
だから…
私は書く。
心の棚の奥にしまい込んでいたものを引っぱり出して
少し磨いてみたりして
「これはこういう気持ちだったんだな」
と、輪郭を見つけていく。
家事がハウスキーピングというなら、
noteを書くことは、私にとって
メンタルキーピング!?
なのかもしれません(笑)
毎日書くといっても、
すべてが大作になるわけではありません。
ある日は、床に落ちていた小さな糸くずを拾うような気づき。
夫の何気ないひと言。
同居するお姑さんとのやりとり。
離れて暮らす一人娘との距離感。
今日のごはんを作りながらふと思ったこと。
またある日は、年末の大掃除のように、
心の押し入れの奥にしまっていた大きなテーマを引っぱり出すこともあります。
親の老い。
自分の体の変化。
夫婦のこれから。
娘の未来。
家業の未来。
死に方や、生き方のこと。
小さな糸くずの日もあれば、
心の押し入れを開ける日もある。
でも、どちらも私にとっては大事な「お片づけ」なのです。
きっと、何者でもない毎日の中にも、
その人にしか見えない、小さなホコリや、
その人にしか拾えない糸くずのような気づきがある。
それを言葉にすることは、
立派な発信というより、
自分の暮らしをそっと大事にする作業なのかもしれません。
特別なキャリアがあるから書く。
すごい知識があるから発信する。
もちろん、そういう文章も素敵です。
でも、それだけが書く理由ではないはずで。
今日、少し心に引っかかったこと。
なんとなくうれしかったこと。
誰かの言葉にちょっと傷ついたこと。
台所でふと気づいたこと。
家族との会話のあとに残った、なんとも名前のつけられない複雑な気持ち。
そういうものを、手にとって言葉にしてみる。
それだけで、自分の一日が少し丁寧に扱われた気がするのです。
ちょうどこの5月で、noteを始めて1年になります。
365個のnoteを
最初からたまに読み返すと、
思わずつぶやいてしまいます。
「去年の私、若いな(笑)」
いや、実年齢としては、たった1年前なのですが。
その時の文章、
その時の考え方、
その時の悩み方を読むと、
なんだか少し気恥ずかしくなるのです。
「うわー、こんな薄っぺらいこと考えてたんや」
「これはもう削除してしまいたい……」
と思うこと、いっぱいあります(笑)
でも、それも私。
1年前の私が、その時その時で一生懸命やっていた
メンタルキーピングなのだから。
そして今の私は、
それを読んで恥ずかしいと思えるくらい、
…1ミリくらいは進化しているはず。
そう思うことにしています。
ここで大事なのは、
今の私の「掃除の仕方」が、ずっと同じとは限らないということです。
50代の私には、50代のホコリの見え方がある。
きっと60代になれば、
また違う場所のホコリが気になるかもしれません。
70代になれば、
掃除の仕方も、物事の捉え方も、
今とはまったく変わっているかもしれません。
今の私が「大事だ」と思っていることを、
未来の私は少し笑って眺めるかもしれない。
逆に、
「よくぞ書いておいてくれた」
と思う日もあるかもしれない。
だから私は、今の気持ちを今のまま、
できるだけ正直に書き残しておきたい。
これは、誰かに立派なことを教えるための文章ではありません。
「未来の私への手紙」
なんです。
「私は、こんなふうに考えながら生きてきたんだよ」
そう伝えるための、小さなライフログ。
何でもない50代主婦の毎日にも、
ちゃんと残しておきたい気持ちはある。
誰かにとっては、床に落ちた糸くずみたいなことでも、
私にとっては、その日の心を整える小さな手がかりだったりする。
だから今日も私は、
心の棚をそっと開けて、
noteを書いているのかもしれません。


キャンディさん、noteやってるんですね。アカウント教えてください😊
キャンディさん、はじめまして。
私も脳内の整理をするのに、SNSの場を使ってきました。
そっか、それは「メンタルキーピング」だったのかー、と目からうろこ。
なんかわかるなー、と勝手に親近感です。