名もなき仕事を言葉にしてみたら、透明だった私に色がつき始めた話
「主婦30年。「名もなき仕事」という私の働き方」続編
以前、こんな記事を書きました。
「主婦30年。「名もなき仕事」という私の働き方」
肩書きはない。
名刺もない。
けれど、
家族を支え、
家業を支え、
義母を見守り、
家の空気を整える。
そんな、名前のつきにくい仕事を30年近くしてきたのだと、ようやく言葉にした記事でした。
あの記事を書いてから、少し考えていました。
主婦という仕事。
名もなき仕事。
それは、やればやるほど、なぜか
自分が透明になっていく仕事
なのではないかと。
誰かが気づく前に整える。
誰かが困る前に動く。
誰かが寂しくなる前に顔を出す。
洗濯物がたまる前に回す。
冷蔵庫の中身を見て、献立を考える。
義母の様子を見に行く。
夫の予定をいつもなんとなく把握しておく。
家の空気が重くならないように、ちょっと笑いを入れる。
どれも大事件ではありません。
でも、放っておくと、暮らしはじわじわ滞っていく。
そうして毎日、
誰かが困る前に少しずつ整えているうちに、
家は回り、家族は何事もなく暮らしていく。
けれどそのぶん、
「私自身の輪郭」は、少しずつぼやけ…
透明になっていった気がします。
「私は何をしている人なのだろう」
そんなふうに、はっきり言葉にできないまま、
気づけば50代になっていました。
けれど50歳を過ぎてから、私は人生で初めて、
インターネットの中に「もう一人の自分」を持つようになりました。
50歳から始めた絵。
去年から書き始めたnote。
そして今、
Substack。
最初は、ただ自分の中にあるものを少し出してみたくて始めたことでした。
絵では、言葉にならない感情を色に。
noteでは、何でもない50代の暮らしの中にある小さな気づきを綴り。
Substackでは、その奥にある自分の考えを、もう少し深く置いてみようと。
すると、不思議なことが起きました。
書けば書くほど、
透明だった私に、
「少しずつ色がつき始めた」のです。
名もなき家事。
名もなき気配り。
名もなき我慢。
名もなき笑い。
それらは、誰にも見えないままなら、
ただの日常だったのかもしれません。
でも、言葉にした瞬間、
「あ、ここにちゃんと私がいたわ」
と気づくようになりました。
まるで、子どもの頃に遊んだ
”炙り絵”
のように。
一見、何も描かれていないように見える白い紙。
でも、そっと熱を当てると、
じわじわ文字や絵が浮かび上がってくる、あれ。
私の30年も、そうだったのかもしれません。
何も描かれていない白い紙のように見えていた毎日。
けれど、そこにはちゃんと、見えないインクで私自身の小さな物語が描かれていた。
夫との何気ない会話。
義母との日々のやりとり。
娘との距離感。
毎日ごはんを作ること。
体の小さな不調に向き合うこと。
ちょっとモヤモヤしたこと。
思わず笑ってしまったこと。
それらを一つずつ言葉にしていくうちに、
見えなかった線が、少しずつ浮かび上がってきました。
以前、noteにこんなことを書いたことがあります。
noteを書き始めたら、突然ハッピーになったわけではない。
生活自体が劇的に変わったわけでもない。
年齢もちゃんと一つ増えたし、
気がかりなプチ案件もどんどん増えてる(笑)
それなのに、
なぜか毎日が前よりもちょっと楽しい。
それはきっと、
ハッピーが増えたのではなく、
「もともとあった小さな幸せに気づけるようになった」からなのだと思います。
noteを書くことは、私にとって、
自分の毎日をそっと「炙る作業」だったのかもしれません。
今日は何を感じたのか。
何に笑ったのか。
何にモヤモヤしたのか。
何が心に残ったのか。
そんなことを言葉にしているうちに、
「あ、これ、けっこう幸せなことだったんだ」
と気づく瞬間が増えていきました。
困ったことの中にも、笑える部分がある。
面倒なことの中にも、気づきがある。
なんでもない一日の中にも、小さなウキウキの種がある。
もちろん、人生には本当にしんどい時があります。
「見方を変えれば全部ハッピー!」
なんて、そんな簡単な話ではありません。
つらい時はつらい。
悲しい時は悲しい。
しんどい時は、まず休むことも大切です。
でも、私自身に関して言えば、
noteを書くことで幸せそのものが増えたというより、
幸せを見つけるセンサーの感度が、少し上がった
のだと思います。
「私はハッピーです」
「私は不幸です」
人はいろいろな言葉で、自分の今を表現します。
でもその言葉の奥には、
出来事そのものだけではなく、
何に目が向いているか。
何を拾い上げているか。
何を言葉にしているか。
そんな、心の向きも少し関係しているのかもしれません。
私にとってnoteは、
毎日の中に落ちている小さなハッピーを拾い上げる場所でした。
派手な成功でもなく、
人生の大逆転でもなく、
キラキラした毎日でもない。
でも、
「今日はこんなことを書けた」
「ああ、私はこんなことを感じていたんだ」
「なんだぁ、私の毎日、けっこう味があるやん」
そう思えることが増えました。
そして今、Substackという新しい場所に来て、
私はまた少し違う炙り絵を見ているような気がしています。
noteでは、暮らしの中の小さな気づきを拾う。
Substackでは、その奥にある自分の考えや人生の文脈を、もう少し深く見つめる。
主婦30年。
名もなき仕事。
透明になっていった自分。
でも、その透明さの中には、ちゃんと色があった。
言葉にして初めて、
私はそれに気づき始めました。
家事も、気配りも、我慢も、笑いも、
誰かに名前をつけてもらうのを待たなくてもいい。
「自分で言葉にすれば、
それはちゃんと物語になる。」
そして物語になった瞬間、
透明だった自分に、少しずつ色がついていく。
50代になってから、
私はようやくそんなことを感じています。
私の毎日は、相変わらず普通です。
洗濯もある。
食事作りもある。
義母のこともある。
家業のサポートもある。
体のプチ案件も、まあまあある(笑)
でも、その普通の毎日の中に、
見えないインクで描かれていた小さな線が、
言葉によって少しずつ浮かび上がってきました。
名もなき仕事を言葉にしたら、
透明だった私に、色がつき始めた。
そしてその色は、
たぶん、ずっと前から私の中にあったのだと気づいたんです。

素敵な言葉、身に沁みました。
以前に妻と話し合うまでは
「男は仕事だけしとけばいいから楽よね」と言われた時には皮肉ととらえてましたが、
それがSOSの一つだったと思い直してからは
感謝の言葉で返えせるようになりました。
身体の中に溜め込むのは良くない
言語化する事でのセルフケア・誰かのケアになる事はその人への思いやりになる。
そんな事を思い出しました。
キャンディさん、素敵な記事ですね✨
「もともとあった小さな幸せに気づけるようになった」
という部分、心に響きました。
変わり映えしない毎日こそ、見方を変えるだけで新しい発見があるかもしれませんね。
とても心が洗われました☺️
ありがとうございます!